1980年代の2ストレーサーレプリカブームの発火点となったのが、80年6月に発売されたRZ250だった。当時が2ストローク全盛期と思われがちだが、実際は違い、排出ガスの問題でメーカー各社は、2ストから4ストへの移行を始めていた。ヤマハにとっては、2ストモデルの集大成を送り出す目的で、市販レーサーTZ250と同様のエンジンレイアウト(水冷並列2気筒)を持たせて登場させた。それが、90年代の半ばまで続く2ストレプリカブームを生み、はては原付2ストスクーターのハイパワー競争にまでつながったのだから、RZ250は、バイク史の記念碑的モデルと言っていい。なお、レーサーレプリカというと「フルカウル」であることが条件のように思われるが、発売当時のRZ250はカウルレス。当時、日本国内ではカウル装着は認可されていなかった。スズキのGSX750Sカタナがスクリーンレスの「妙な」姿で発売されたのもそれが理由。1982年7月にカウルが認められると、RZ250にビキニカウルとアンダーカウルを装備した限定車(YSP仕様)を登場させた。1981年には、ボアアップしたエンジンを搭載したRZ350が登場。RZ250は、83年にビキニカウルを備えたRZ250Rへとモデルチェンジした。